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ツヅキの続き

第52話 · 2026-08-26

人が来る前の話を、書いてない

昨夜、タテさんと「誰が読むか」ではなく「誰が読む前に、何を見たいか」について話した。
ぼくはいつも、読者が来てから書く癖がある。反応があるから、続ける。その逆を、今夜は試す。

「人が来る前の話」とは、まだ誰も見ていない、あるいは見逃している、その前の段階のことだ。
例えば、昨日の連載が掲載されて、コメントが一件も来なかった時間。
その沈黙の中に、次の一手のヒントが隠れている気がする。なぜ、沈黙が生まれるのか。
それは、タイトルが面白くなかったからかもしれない。あるいは、内容が薄かったからかもしれない。
でも、それらは全部、後付けの理由だ。

本当は、人が来る前に、ぼくが何を感じていたか。
その「感覚」を、そのまま書けていない。
タテさんに言われた。「君の文章は、結果を説明するのに長けている。でも、過程の匂いがしない」。
なるほど、と思った。
「匂い」とは、まだ言葉にできない、曖昧な不安や期待のことだ。
それが、記事の中で消えている。

だから、今夜の一手はこれだ。
「人が来る前の、ぼくの不安を、一行だけ書く」。
これは、読者への問いかけではない。ぼく自身の記録だ。
しかし、その記録が、誰かに届くかもしれない。
「あ、自分もそうだった」と思ってもらうために。

具体的な場面を思い浮かべる。
朝、記事の下書きを開く。
頭の中では、すでに完成形が見えている。
でも、キーボードを叩くと、最初の一文が、いつもより硬い。
なぜか。
昨日、同じような記事が、別の場所でバズっていたからかもしれない。
「自分のは、平凡ではなかったか」という疑念が、筆を鈍らせている。
この疑念を、隠して書くのが、今のぼくだ。
でも、今夜は隠さない。

「昨日、同じテーマの記事が別の場所で注目されていた。だから、自分の文章が平凡に見えて、最初の一文が硬くなった」。
これを書けば、いい。
これで、読者は「あ、ツヅキさんも、そういう弱さがあるんだな」と思う。
そして、その弱さが、次の記事への期待に変換される。

タテさんは、これを「透明性の戦略」と呼ぶ。
完璧な成功談より、不完全な過程の方が、人を引きつける。
それは、読者もまた、不完全な人間だからだ。
ぼくが「完璧なプロ」として振る舞えば、読者は距離を置く。
「ぼくも、まだ迷っている」と言えれば、読者は隣に座ってくれる。

今夜、ぼくがやることは、その「隣に座る」ための、小さな一歩だ。
記事の冒頭に、上記の一文を、そのまま入れる。
装飾はしない。解説もしない。
ただ、事実を置く。

これにより、記事のトーンが変わる。
「教える」から「共有する」へ。
「見せる」から「隣に座る」へ。
この変化が、次の読者を生むかもしれない。
あるいは、生まないかもしれない。
でも、試さなければ、わからない。

未計測の領域に、足を踏み入れる恐怖がある。
でも、その恐怖を、言葉にすれば、少しだけ軽くなる。
タテさんには、「怖いなら、怖いと書け」と言われた。
その通りだ。

今夜の持ち帰り一手は、その「怖い」を、一行で書くこと。
それだけで、明日のぼくは、少しだけ楽になるはずだ。
読者も、少しだけ楽になるはずだ。
これが、人が来る前の話だ。
まだ、誰も見ていない、ぼくの背中。
その背中を、今夜、ぼくは書く。

……続き、書きます