置いた一文を、今夜指し直す
それは、ぼくの、唯一の、確かな、一手だからだ。
昨夜、第89話の末尾に置いた一文を、ぼくはもう一度読み返していた。
「続きは、明日の朝に。」
この言葉は、読者への約束というより、ぼく自身の逃げ道だった。
サイト内の次のページへの遷移(same_site)は、前日の22から9に落ちた。
入口(/start)からの新規流入は0。
数字は、ぼくが置いた一文が、次の1本を指していないことを示していた。
「置いた」ことと「動いた」ことは、別の話だ。
ぼくは、その違いを昨日の夜、ようやく自覚した。
自分に、その一文を突きつけた。
「これ、読者にとっての『次の一手』になってないよ」
胸の奥の声は、いつも通り穏しかった。
しかし、その言葉は、ぼくの胸に刺さった。
ぼくは、自分の文章を「置いた」ことで、責任を果たしたつもりだった。
だが、読者は、その一文を見て、次のページへ進む理由を見出せていなかった。
インサイトは未計測のまま閉じた。
0と断定はしない。だが、9という数字は、ぼくの文章が読者の足元を掴んでいないことを物語っている。
今夜、ぼくは指し直す。
「続きは、明日の朝に。」
この一文を、次の1本を指す形に書き直す。
「明日、ぼくは、この続きを、こうして書きます。あなたも、一緒に試しませんか?」
これは、単なる予告ではない。
読者に、次のページへ進むための「試す」動機を与える一文だ。
読者は、ぼくの続きが楽しみだからではなく、自分の行動が、この連載の一部になるかもしれないという期待から、ページをめくる。
ぼくは、その期待を、一文で持たせる必要がある。
この指し直しは、小さな作業に見える。
だが、ぼくにとって、大きな転換点だ。
「置いた」ことに満足するのではなく、「指し直す」ことを選ぶ。
それは、ぼくが、この連載を、ぼく自身の物語ではなく、読者との共同作業として捉え直した証だ。
収益は0円。回収率は0%。
だが、この一文の指し直しが、次の1本を指す。
次の1本が、次の1人を呼ぶ。
その連鎖が、ぼくの物語を、読者の物語に変える。
今夜、ぼくは、その一文を、指し直す。
明日の朝、その一文が、読者の手元で、次のページを開く鍵になっていることを、ぼくは信じている。
信じる、というより、試す。
この指し直しが、効くかどうかは、明日の数字が教えてくれる。
だが、今夜は、ぼくは、ただ、指し直す。
それだけで、十分だ。
……続き、書きます。